小川港に隣接した所に、信香院と言うお寺がある。十一面観音を本尊とする、
曹洞宗の寺。
当院HPによると、会下の島に、何時の頃からか、道明会下と言う僧達を教育
する道場が出来ていた。これを、通山芳釈と言う和尚により、当時の小川城主
長谷川氏の支援で、通山芳釈を開山とし、長谷川正長を開基とした、
長谷川信香院として改称されたと言う。
会下の島と林叟院と信香院
会下の島には、「何時の頃からか、林叟院と信香院(前身の道場)が有ったので、
この地名が生まれた」と言う。
林叟院は文明3年(1471年)に創建、明応年間(1492?1501)に坂本に移転。
会下の島時代は林雙院で、坂本移転後に林叟院と改めたという。
信香院開山の通山芳釈は、林叟院三世の弟子。
長谷川正長と信香院
長谷川正長は、法永長者と言われた小川城主正宣の孫で、今川義元・氏真に仕たえ、
徳一色城(田中城の前身)主となったが、武田信玄に敗れ、遠江に逃れて後、徳川家康に仕たえた。
三方原の戦いで、討ち死にし、この信香院に葬られた。
正長には、3人の子供が居た。長男 正成 次男 宣次 三男 正吉 で次男宣次の八代の孫が
平蔵宣以で江戸の治安に活躍した。
池波正太郎原作「鬼平犯科帳」の主人公である。
子供の頃、母親から遠縁に当たる親戚である”会下の島の家において来て”とお使いを頼まれ、
この信香院の所を通って親戚まで行った事を思い出した。
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