清水駅から興津駅まで、約8.7Kmの旧東海道のウオーキング。
西園寺公別邸「坐漁荘」や朝鮮通信使ゆかりの寺「清見寺」を見学して興津駅へ
興 津 坐 漁 荘
西園寺公望公が晩年過ごされた別邸で、92歳で亡くなるまでの、22年間の住居であった。
当時の坐漁荘の居間からは、遠く伊豆天城の山々や、目の前には、三保の松原も見渡せたという。
昭和5年11月、西園寺公死去後、昭和45年建物の傷みが激しく、明治村に移転復元されている。
現在の建物は、復元された京風数奇屋造りの建物です。
清 見 寺
正式名称は こごう山清見興国禅寺といい、臨済宗妙心寺派のお寺。
本尊は、釈迦如来、開山は、関聖上人、7世紀後半、白鳳年間、天武天皇の頃、この地に清見関が設けられ
関所の鎮護として仏堂が建てられ、これが清見寺の始めと言う。1300年の歴史がある東海道屈指の名刹である。
梵鐘・山門など多くの指定文化財をを持っている。
この寺は、東海道を往還した、歴代朝鮮通信使の宿泊や供応を行ってきたとして、国の史跡に指定されている。
(朝鮮通信使とは、朝鮮半島最後の王朝 李氏朝鮮 の使節団で、日本国王に対し、よしみを通わす使者として
日本に訪れていたという。)
この日は、再現行列があり、清見寺で儀式が行われていた。
Leave a Reply