日本武尊沓脱の旧蹟が有る。
日本武尊が東征の時(1840年前)、靴を脱いで休息し、老女の小麦飯の饗応を受けた小庵の跡という。
焼津市市制施工記念として、市・焼津神社氏子・市内有志団体が日本武尊望像を建立したと有る。
日本武尊とは
焼津神社の祭神である日本武尊は、第12代景行天皇の子として生まれ、小確命と名ずけられ、兄大確命とは、双生児だったという。
生来、荒々しい性格で、兄を殺してしまった。景行天皇はその粗暴さに恐れをなし、熊襲征伐を命じた。
熊襲建(くまそたける)兄弟に接近し、首尾よく、兄弟を倒すことに成功する。
その後、東征を命じられた。途中伊勢神宮に立ち寄り、叔母にあたる倭姫を訪ねて剣を貰う。後に、結婚する姫とも出会う。
駿河国まで進んだところで、だまされて原野に引き出され、土地の豪族に周りから火を掛けられ、絶体絶命のピンチを迎えるが、倭姫から貰った剣で草を薙ぎ払い、危うく難を逃れたと言う。
その後、上総平定後は、安房、下総、常陸、更に当時蝦夷と一括された陸奥の北上川流域まで行っている。
(識者の見解によれば)「古事記」「日本書紀」には、日本武尊も実在の人物として描かれているが、大和朝廷が日本国内を統一する為の限りない苦難の道を、日本武尊と言う一人の悲劇の英雄と言う偶像を借りて綴った物と考えられると言う。
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