11月22日で 故郷”焼津”に帰って、3年経ちました。早いものです。温暖なこの土地は、長らく懐かしく思って来た通りの所で、昔を思い出しながら楽しい生活を送っています。
子供たちの故郷を捨てて申し訳なく思いながらも、現在、息子たち家族も、娘たち家族も幸せな生活を送っている様を見て、ほっとしながら、残り短く成った人生を健康で過ごせる様に注意して、勝手な生活を送っています。
21日は、焼津市歴史民族資料館主催の”花沢の歴史を探る”と言う歴史勉強会が有り参加。焼津に帰って以来、資料館主催の歴史講座の受講や、歴史ウオーキングに参加して勉強しています。
今回は、焼津市でもっとも古い集落である”花沢の里”の歴史を講師の説明を聞きながら、ウオーキンしてきました。
この集落には、現在28戸、築200年以上の江戸時代に建てられた家が8戸、、明治時代に建てた家が7戸、大正時代に建てられた家が5戸、と古い民家が多い。
この地区は、高草山の東側の谷間に形成された集落で、集落の中心に2本の川が合流する点があり、そこに水車小屋がある。かなり古い水車が今でも回っている。(これは、多分に観光目的らしい)
集落の最奥の位置に、法華寺(天台宗)がある。行基が天平年間(729?749)に創建したといわれている。かっては、寺坊16ヶ寺を数えたと言う。庭に植えられているイチョウの木は、昭和45年の台風で根こそぎ倒れてしまい、その後植えられたものであるが、当時のイチョウは樹齢350年、樹高20mの大木だった。子供の頃、銀杏を拾いに良く来た記憶がある。
万葉集に有る和歌、昔の人々は、花沢の集落を通り、おそらく法華寺に御参りし、山門脇から山道に入り、日本坂峠を通って小坂(静岡市)に抜けて行ったようだ。
建てられている道標には、元禄十五年に建てられたと書いてある。右ふちゅう、左うつのやと書かれて在った。
先日、満観峰ハイキングの折り、ここから日本坂峠を通り、満観峰方面に歩いた道である。
凄い急坂で、危険を伴う山道である。昔の人々の苦労が偲ばれる。
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