小学校の時、小泉八雲の「乙吉のダルマ」が教科書にあった。焼津に滞在していた事を、そこで知ったが、今、どうなっているだろうかと、尋ねてみた。
明冶30年、初めて焼津を訪れて以来、亡くなる迄、毎年、夏は焼津で過ごし、その折必ず滞在したのがここに有った「山口乙吉」の家だった。八雲は、焼津の海、人々の生活、そして山口乙吉をはじめとする焼津の人々を、こよなく愛したと言う。この家は現在明冶村に移築され、保存されている。
黒石川に架かる新川橋のたもとに「風詠の碑」が有る。ここから城之腰、鰯ヶ島に至る海岸通りは、「八雲通り」と愛称されている.八雲は、焼津の海が、水泳の敵地として、大変気に入り、当目や和田の海岸に泳ぎに行ったという。
JR焼津駅前に有る記念碑
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