焼津の古刹 林 叟 院

思い出
昭和30年代まで(詳しくは覚えてないが)、小川港の北側の海岸に、乙女ヶ丘海
水浴場が有った。子供の頃の、夏の遊び場として、今でも、鮮明に思い出される。
釣竿、手製のもり等を携えて、家から、徒歩で出かけて、一日中遊んだものだ。
今は、小川港の拡幅により、無くなってしまった。東海地震の津波対策や、
海岸侵食防止等で、高い防波堤化している。残念である。
曹洞宗 高艸(草)山  林 叟 院
高草山の麓、焼津市坂本に有る、曹洞宗の寺
小川村の豪族、長谷川次郎左衛門の開基で、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)禅
師により開山、建立された。
長谷川氏は、林叟院法永長者と尊敬された人物。この寺は後に、駿遠両国に、
二百余ヶ寺の末寺を有する大寺院となった。
1498年に、明応の地震が、駿河湾沖で発生した。いまは、高草山の麓にある、
この林叟院は、当時小川港付近に有っが、この地震で、乙女が丘海水浴場の
沖合い300m?400m辺りの海底に埋没してしまったと言われている。


山神血脈石と山神杉
林叟院の沿革史によると、ある日、年老いた修行者が寺を訪れ、禅師様に翌年
は必ず天変地変が起こって、この地は危険であるから、適当な境地に移転する
様に進められたと言う。
意を決した禅師様は、明応7年小川から坂本へ寺を移転。翌年8月、大地震が
起こって海中に埋没してしまったと言う。
修行者と坂本で移転構想を練られた、修行者を山神様と称し、その時、立って
いた石と、かたわらのスギを”山神血脈石””山神杉”として旧蹟としている。
 

経 蔵
古刹成るが故に、焼津市の文化財を保有している。建造物の有形文化財指定。
間口・奥行き4.82mの木造瓦葺、方形造り平屋建、明和8年(1771年)上棟。

鐘 楼
建造物の有形文化財指定
間口・奥行き2.7m 階下の高さ2.69m 階上の高さ梁下1.86m 
柱は階下23Cm方柱階上八角柱  入母屋造り瓦葺 宝永3年(1706年)の創建

宝篋印塔
建造物の有形文化財指定
高さ 約260Cm  いつ建立されたかは不明、寛政3年(1791年)の寺古図では、
記載されている為、それ以前のもの。

法永長者 長谷川氏の墓
この寺の開基である、長谷川氏夫妻の墓が残されている。 

About 原崎 正敏 384 Articles
静岡県焼津市出身

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