四月の新学期に入るとすぐの、4月5日に石津水天宮さんのお祭りが有る。
丁度、季節も良く、家から近い事も有って、”浜行き”と言って、母親に連れられて
お弁当を持って、砂浜に敷くゴザを持って、水天宮さんに御参りをしてから、
鳥居の前(300?400m)の海岸に行き、波の音を聞きながら、お弁当を食べ
て、帰宅したものである。家族で、遠足に行った気分だった。
海岸には、多くの家族が、同じようにお弁当を食べていた。
この水天宮の祭神は、あの平家一門に奉ぜられ、3歳で天皇に即位したが
文治元年(1185年)壇ノ浦の源平の戦いで敗れ、平家一族に抱かれて、海中に
入水、8歳で平家と運命を共にされた”安徳天皇”である。
今思うと、この為に、御参りの後、海岸で弁当を取って祭神を悼んだのかも知れない。
遠洋漁業の基地と言う立地がら、海難除去、豊漁の願いが込められて発展して来た。
しかし、古来から、”安産祈願”の神社で、多くの人々が安産や子授かりの祈願や
お礼参りなどに訪れ、賑わってきた。
水天宮の本宮は、福岡県久留米市に有り、壇ノ浦の戦いで生き延びた、按察使局が
安徳天皇らの霊を慰めた祠を筑後川のほとりに建てたのが始まりと言う。
その後、久留米藩主により、久留米藩江戸屋敷に分祀されて、現在の東京水天宮
の始まりとなっている。
石津水天宮は、東京深川の材木商により、文久元年(1861年)に、石津の地に、
久留米藩江戸屋敷から、分祀されたのが始まりと言う。
因みに、全国各地にも分祀されていて、正確には解らないが、他に23宮あるようだ。
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