1473年頃、北条早雲が”伊勢新九郎長氏”と名乗っていた頃に築かれた城。
早雲は、今川氏の客将として、今川氏に世話に成っていた。今川義忠の正室北川殿の兄とも言われている。
1478年今川義忠が、遠州において討たれると、今川家に跡目相続争いが勃発、早雲はこの混乱を治め、1487年に光国寺城(現在の沼津市根古屋に有り、北条早雲旗揚げの城)に移った。
この城は、早雲が光国寺城に移り廃城と成った。
現在は、西側曲輪跡に城山八幡宮と本丸跡に大日堂が建っている。
早雲がこの城に居住していた期間が短かかった為か、遺構は非常に少なく、曲輪、土塁がわずかにその面影を残しているのみである。
今川家の家督相続争いが起った際に、早雲は幼い竜王丸(後の今川氏親)と北川殿を小川の法栄長者の居館にかくまい、助けたという。
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