焼津市内で、古刹と数えられている林叟院は、現在、高草山の麓に位置し、高草山(こうそうざん)林叟院
(りんそういん)として、多くの信仰を集めている。
この林叟院が、予言者の一言で、大津波から救われて、難を逃れたというお話。
黒石川が、小川港に合流する所の橋を渡り、信号を右折した所に、林叟院創建の地がある。
四百九十年前の、文明三年坂部に有る石雲院開祖の高弟によって、旧小川村の乙女が丘の南
(現在は海となっている)に建立された。
高弟は、当時の小川の豪族、長谷川次郎左衛門の為に、この地に一寺を建立して、
地方の教化を図った。これが、今の林叟院で、後に、駿遠両国に二百余ヶ寺を有する大寺院となる。
その後二十七年間小川の地に有ったが、ある時、修行者が訪れ、「翌年は、必ず天変地変が起こってこの地は
危険であるから適当な地に移転するように・・・・」と進められた。
その修行者が、凡人で無い事を知って、寺院移転の構想を練り、明応七年直ちに小川から坂本へ寺を移転した。
翌年八月八日大雨の為洪水となり、二十五日には、大地震が起こり、大津波が東海を襲い、小川の海岸は
一朝にして海中に没してしまった。林叟院は、一修行者の予言により救われたので、一山の僧徒や近隣の
住民の喜びは大きく、この事跡を後世に伝えるべく、この修行者を「山神様」と称し、守護神としてお祭りし、
寺号も林叟院の「叟」の字は、「雙」を使っていたが「叟」と改めたと言う。この文字は「老人」という意味があるから
という。
歴史書によると、明応7年8月25日 遠州灘沖を震源とする、M8.6の大地震が発生 大津波が焼津の海岸に
押し寄せた。津波の高さが 6m~8mと言われている。安政の東海大地震を上回ると言う。
その時、浜名湖が、海とつながったという。
それから、410年東海大津波に襲われる時が、刻一刻と迫りつつあるように感ずる。
林叟院創建の地から、小川港陸側岸壁を「アクアス焼津」まで歩いてみた。
雨を心配しながら、久しぶりのウオークだった。今地震が来て、津波来襲が有ったら、どうしようと思いながら・・・。
港の景色を眺めながら、アクアス焼津に到着。
此処には、海浜公園として、汐の干満が肌で感じることが出来る、”汐だまり”が有る。
多くの子供たちが、遊び、危険の少ない場所として、なかなか良い場所かなと思う。
此処から家まで、約40分、更にウオーキング。
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