☆ ☆ ☆ 林叟院創建の地から小川漁港岸壁を歩く ☆ ☆ ☆

焼津市内で、古刹と数えられている林叟院は、現在、高草山の麓に位置し、高草山(こうそうざん)林叟院

(りんそういん)として、多くの信仰を集めている。

この林叟院が、予言者の一言で、大津波から救われて、難を逃れたというお話。

 

黒石川が、小川港に合流する所の橋を渡り、信号を右折した所に、林叟院創建の地がある。

四百九十年前の、文明三年坂部に有る石雲院開祖の高弟によって、旧小川村の乙女が丘の南

(現在は海となっている)に建立された。

高弟は、当時の小川の豪族、長谷川次郎左衛門の為に、この地に一寺を建立して、

地方の教化を図った。これが、今の林叟院で、後に、駿遠両国に二百余ヶ寺を有する大寺院となる。

その後二十七年間小川の地に有ったが、ある時、修行者が訪れ、「翌年は、必ず天変地変が起こってこの地は

危険であるから適当な地に移転するように・・・・」と進められた。

その修行者が、凡人で無い事を知って、寺院移転の構想を練り、明応七年直ちに小川から坂本へ寺を移転した。

翌年八月八日大雨の為洪水となり、二十五日には、大地震が起こり、大津波が東海を襲い、小川の海岸は

一朝にして海中に没してしまった。林叟院は、一修行者の予言により救われたので、一山の僧徒や近隣の

住民の喜びは大きく、この事跡を後世に伝えるべく、この修行者を「山神様」と称し、守護神としてお祭りし、

寺号も林叟院の「叟」の字は、「雙」を使っていたが「叟」と改めたと言う。この文字は「老人」という意味があるから

という。

歴史書によると、明応7年8月25日 遠州灘沖を震源とする、M8.6の大地震が発生 大津波が焼津の海岸に

押し寄せた。津波の高さが 6m~8mと言われている。安政の東海大地震を上回ると言う。

その時、浜名湖が、海とつながったという。

それから、410年東海大津波に襲われる時が、刻一刻と迫りつつあるように感ずる。

林叟院創建の地から、小川港陸側岸壁を「アクアス焼津」まで歩いてみた。

雨を心配しながら、久しぶりのウオークだった。今地震が来て、津波来襲が有ったら、どうしようと思いながら・・・。

港の景色を眺めながら、アクアス焼津に到着。

此処には、海浜公園として、汐の干満が肌で感じることが出来る、”汐だまり”が有る。

多くの子供たちが、遊び、危険の少ない場所として、なかなか良い場所かなと思う。

此処から家まで、約40分、更にウオーキング。

 

About 原崎 正敏 384 Articles
静岡県焼津市出身

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