国道150号線のバイパスが完成し、旧R150号は、R416号に変更になった。
そのR416、小川・石津地区を通過する部分が、土地区画整理事業により、廃止された。
丁度、廃止された道路沿いに、伝説の松”鳴子の松”があった。よもや、捨てる事は有り得ないと思いつつ、
確認の為、出掛けて見た。
近くを探し回り、ようやく見つけて、その近隣の住人に確認した結果、間違いなく”鳴子の松”で有る事を確認した。
新しく移転した場所は、小公園の予定地で、今までのように、見にくい場所でなく、植え替え後も順調に生育
していて安心した。このブログでも、5年前に書いて有るが、昨年3月11日の、東日本大地震以来、
当市でも、大津波の来襲近しで、避難タワーや、避難場所の確保等が急がれているが、昔をしのぶこの
”鳴子の松”も大切にしたいものである。
現実が現れないと、なかなか動かない行政に、不信感を抱かざるを得ない。
今までの、津波対策って、話だけだったのか?。
2007/8/25
元禄12年(1699年)の夏、8月15日午後6時頃、大地震が発生し、
大津波が押し寄せた。
津波は、会下の島を襲い、田尻村、石津村を襲ったと言います。
人々は、海岸から遠ざかるべく、西の与惣次の方に向かって逃げ、
もう少しで与惣次と言う所に大きな松が生えていた為、村人達は争って
この松によじ登り難を逃れたそうです。
このとき多くの人々は、枝をしっかり握ってぶら下がり、波を避けたといいます。
そのカッコウが、丁度、鳴子(鳥おどしに使う仕掛けで、枝に小さな
竹筒をつけて、紐で引いて鳴らす)の様で有ったと言われ、それから
この松は、鳴子松と言われるように成ったそうです。
現在の松は、三代目で、記念碑も建てられています。
今から、300年前の話ですが、かなり大きな地震だったと思われます。
今、東海沖地震が、取りざたされていますが、焼津に移転して驚いた
事は、かなり、大きな地震と津波が想定されているにも関わらず、
この鳴子松より海側の小学校の校庭が、非難場所に指定されている。
理解に苦しむ。これでは、家の2階に居たほうが、安全だ!。
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