焼津の街並み?八雲通り?

?焼津市内で、最も古い街並み?
小泉八雲が滞在していた、山口乙吉さんの家が有った通りは、(新川橋のたもとから、城之腰、鰯ヶ島に至る海岸通り)現在「八雲通り」と愛称され、市民に親しまれています。


1890年4月、日本に来て、島根県松江中学の英語教師となった小泉八雲は、焼津の海が気に入り、明冶32年?37年の夏のひと時を家族と共に、焼津で過ごしています。
小泉八雲は、ギリシャ生まれのイギリス人で、旧松江藩士の娘、小泉節子と結婚、その後、日本に帰化した人物。松江市の、小泉八雲旧居の近くには、八雲がよく散歩した道が有り ”ヘルンの道” と愛称されているそうです。


以前は、海岸通りと言っていたが、まだ焼津町の頃で、大正5年測量の地図を見ると、焼津港も、小川港も無く、それぞれ、黒石川河口、木屋川河口と成っている。その頃の焼津の中心は、この浜通りで、城之腰、鰯ヶ島が中心だったと思われる。
この八雲通りは、道路にセンターラインが引けない程の道幅である。
小生が焼津を離れた、50年前は、乗り合いバスも走っていて、随分広い道で有ったと感じていた。
この通りの、60m?70m東側は海岸で、この通りと平行して、かなり高い防潮堤防が築かれていた。
台風が来ると、この堤防に波が打ち寄せ、波が堤防を越え、民家に海水が降りかかっていたと言う。


この通りには、今でも水産加工業者が軒を連ねている。
特に、鰹節・なまり節・塩辛・佃煮など多くの業者が商売している。



昔ながらの焼津の風景が残る「浜通り」を新しい観光地にしようと、活発な活動をしている「浜の会」の皆さんが居る。焼津の原点を、ぜひ、残していって欲しいと思う。

About 原崎 正敏 384 Articles
静岡県焼津市出身

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