昔、八雲通りに平行して作られていた、海岸の防潮提が、ビックリするほど綺麗に整備され、高潮の危険防止、東海沖地震に備えた津波被害の防止等の為に、堤防と人家との間を広くして、更に、海岸を埋め立てて、非常に大掛かりな、安全策が取られている。
当時有った防潮提が再現され、記念として残されていた。
この大工事は、道路整備が、いくらか残されている様だが、大方終了した。八雲通りに住む人々の、高波・津波に対する安全が確保されただろうと思われる。もし、この安全策を超える程の津波が来た場合は、我が家もやばくなる。
記念として、残されている防潮提の、案内板の説明によると、今から100年前までの焼津の海岸は、
簡単な波除の堤しかなく、暴風の荒波による被害が度重なり、民家や船の被害が甚大だったと言う。
(案内板の写真転用)
この為、村では、堅固な波除防潮堤を設置する為、県への陳情を繰り返し、その結果、明冶32年から40年までに、高さ7?8m、基底部幅6?6.5m、上部幅3.5m、総延長1048mの石造り大堤防が建設された。こうして、100年の長い間、焼津の町と人々を守り続けた。
(案内板の写真転用)
しかし、この堤防も構造上、耐震性が危惧され、堤防の外側に、昭和62年?平成7年にかけて、新堤防が築かれた。
新堤防の外側には、新焼津漁港が埋め立て造成され、さらにその沖合いには、巾20m、長さ2000mの防波堤が築かれました。
(案内板の写真転用)
旧堤防跡に道路を作り、新堤防の外側の埋め立て地は海洋深層水を使ったスポーツ施設等が作られている。
これにより、以前と比較に成らないほどの安全が確保され、明冶の石造り堤防はその役目を終え、撤去されました。
この再現した防潮提のレプリカは、使用されていた石材を利用して、後世に伝える為、模式的に再現したものである。
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