東小川に有る光心寺の門を入って、左側に、お地蔵様が祭られています。
このお地蔵様は、浪除け地蔵尊で、安永年間の坑木工事による防波提の頃は、城之腰村の磯辺に延々と連なる防波堤の上に、南・中・北の3箇所に波除の願いを込めて、安置されていた3体のお地蔵様が有った。その昔は、六地蔵様と呼ばれ、六体有りましたが、明冶の初頭には、鰯ヶ島・城之腰・御休町の浜辺近くに、三体だけが、残っていて、波除地蔵尊として一体ずつ祀られていた。
このお地蔵様が祀られていた辺りは、漁師の子供たちの遊び場所に成っていて、お地蔵様は、位置がずれたり、横になったり、首や手が欠けてしまったりしていたそうです。
明冶三十年に、小泉八雲がこの地を訪れ、海辺の散歩や水泳を楽しんでいた、ある時、首の欠けたお地蔵様を見て、石屋さんに行き、そのお地蔵様に、可愛い子供の顔を付けたいと話した所、妻の節子さんが、お地蔵様は、”子供が亡くなった時に造る”という日本の風習を話して反対した為、小泉八雲は、仕方なくお地蔵様の首を付けることをやめたといいます。
このお地蔵様は、小泉八雲が、首を付けようとしたところから、八雲地蔵と呼ばれています。それぞれのお地蔵様も、百年の歳月の間に、いつの間にかこの一体だけとなりました。
人々に慕われ、親しまれてきたお地蔵様も、あまりに守り疲れたお姿を見るに忍び難く、町内の人々が協力して、十年ほど前に、ゆかりの有る光心寺に移されたそうです。
海辺に有った光心寺は、昭和十年四月に現在の地に移転されました。
元の場所には、二代目浪除け地蔵が祭られています。明冶三十二年から四十年まで行なわれた防波石堤工事の時、現在の場所に移されたらしい。
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